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ONIBUS COFFEEを支えるスタッフクローズアップ第1弾!QCM安武修平インタビュー!

ふだんから店舗に立って抽出や焙煎を行うONIBUSの大黒柱・安武さん。
日々の仕事やコーヒー業界に入ったキッカケを伺いました!

  

 

——そもそも、コーヒーの世界に入ったキッカケはなんですか?
地元の島根の飲食店で働き始めて、その店主が新しくコーヒーショップを出すということで誘われました。地方では珍しく、スペシャリティコーヒーを扱うお店でした。僕が22歳頃のことですね。


——東京に上京したキッカケはありますか?
実は、格闘技です。 当時よく聴いていた音楽のイベントで「DEVILOCK NIGHT」というのがあっ て、そのビデオの一部に格闘技の試合が流れたとき、鳥肌たってハマっちゃいました。格闘家になろうと上京して。その夢は年齢もあってプロになるのは厳しいと実感してやめましたが、それをキッカケに東京に住み始めました。 もちろん、島根の恩師から受けたコーヒーカルチャーのベースがあって心のどこかにまたコーヒーをやりたいという気持ちがありました。それこそ気になるコーヒー屋へは頻繁に行っていましたね。


——それからコーヒーの道へ?
しばらくはコーヒーとは関係のない仕事をしていました。東京でコーヒーの仕事を始めたのは20代後半の頃です。 今でこそ若い人にはコーヒーを始めたいと思えるコーヒーカルチャーが東京に山ほどある。カッコよくて、スタイリッシュな。でも、僕らの頃は選択肢なんてほとんどなかった。金銭面的に考えると生活もあるし、仕事は選ばなければいくらでもある。でも、それは本当にやりたいことか?と考えると僕の場合、おのずと方向性は見えてきました。


バリスタとして経験を積んだ時期


働くならPaul Bassett以外は考えられなかったので、何回落ちても履歴書を出し続けていました。入ったらこっちのもんだ!と考えて受かるまで受け続けようって。受かったときはやっぱり嬉しかったです。でも、すぐにはバリスタとして働けませんでした。まずはウォッシャーとフード。マシンは指一本触れられないです。早い人で半年くらい。コーヒー以外の仕事を覚えるスピード感で、コーヒーに関わる仕事を任せられるかを見られます。入った当時バリスタは2人程しかいなくて、テストを受けて合格すればなれますが、まず「練習していいよ」と言われなければテストすら受けられないというシステムでした。


我慢することを覚えた


すごく厳しい環境でした。一日で辞める人もいるし休憩に行って帰って来ない人もいる。怒られながら耐える毎日です。マシンに全く触れない中で、皿洗いやその他の作業をひたすら続けて。ひとつのことをずっと我慢して続けることを覚えました。そういった環境なので、自然と残る人は限られていました。でも、逃げることはしたくなかったので「見返してやる」という一心で頑張りましたね。理不尽なことがあっても、辞めることはしたくなかったのでとにかく頑張って続ける。そこで続ける努力、継続することの大切さを学びました。実際に忙しい店だったので、気づいた頃にはスキルが上がっていてこれ以上ここで学ぶ事はないな、と思って辞めました。

NYで出会ったサードウェーブ


辞めることが決まってから、ニューヨークへ休暇も兼ねて行きました。ちょうどサードウェーブがいわれ始めた頃です。気になるコーヒーショップをリストアップして、カフェを巡りました。よかったのが「JOE PRO SHOP」「Café Integral」「SWEET LEAF」で今も鮮明に覚えています。味もそうですし、なにより働くスタッフの人たちやバリスタが新鮮に映りました。日本での自分とは違ったスタッフの働き方に自由を感じて衝撃を受けました。バリスタそれぞれに個性があって、女性も結構いましたね。マニュアル通りの働き方ではなく、自由にかっこよく働いている。全然、無理していない。こんな環境で働きたいと思い、帰国後にコーヒーショップに英語でメールも書きました。採用はされなかったですけど、それくらいうらやましい環境でしたね。 それから何度かNYへ行きましたが、毎回違いますし、最初の強烈な印象は変わりません。今でも行ってよかったなと本当に思います。


——NYから帰ってからは何をされて?
仕事を辞めて、どうしようかとなった時にプロジェクトに誘われました。国産車のショールームに併設されたカフェスタンドです。半年くらいそこで働きました。バリスタ兼マネージャーとしてコーヒー初心者のスタッフの子たちに教える立場になったので、トレーニングを通して自分なりにコーヒーのことを伝えていきました。教えるということで、自分も新たな発見があって楽しかったし、勉強になりました。ここで出会った後輩は今でも繋がっていて、Fuglen Tokyoの力武元太君もそのひとり。自分の考えに共感してくれて同じ方向性で続けてくれている人たちがいることは、うれしいし励みになります。後輩は大事にしています。


——後輩思いな一面があるんですね!
それは、島根のコーヒーショップの恩師のおかげです。後輩に対しての愛情の注ぎ方なんてわからないじゃないですか。でも僕は、何が大事なのか、何が愛情なのかをその方から教わりました。人としてずっと付き合っていきたいなと思える人です。だから、お店を辞めたからその人との関係も終わり、というのは嫌だし、人として付き合っていけばいつかどこかで交わるはずだと思っています。


——それからONIBUSへ関わって?
一旦地元に帰ってその古巣で2ヶ月くらい働きました。それが終わる頃、ONIBUSの坂尾から連絡がきました。ONIBUSは当時奥沢店だけでしたが、渋谷に店舗を出すからやらないかと。それがABOUT LIFE COFFEE BREWERSです。今までコーヒー以外にもフードを出す店で働いていたので、コーヒーだけで勝負する店と聞いて「コーヒーだけでどれだけお客さんが来るのか?」ということに興味が湧きました。今でこそコーヒーのみのショップはたくさんありますが、当時は理想としているけどどの店も恐くて挑戦出来ないことだった。ここで、自分の本当にやりたいことができるのでは、という思いがありました。


——ABOUT LIFE、そして焙煎へ
オープンして最初は、なかなかお客さんもつかなくて。お客さんが少ないと必然的にコーヒーが淹れる機会も少ない。だから正直面白くなかった。笑。それに自分がメインでやるというよりも、スタッフに教えながらやってもらうことも大事だったので、わりと控えめだったかもしれません。でも本当に自分のやりたいことを追求していった結果として、焙煎をやらせてもらったことが大きいですね。その頃から徐々にONIBUS奥沢店でロースタースタッフと焙煎をやり始めました。農園にも行かせてもらったのもこの頃です。今までやってきたバリスタ職から、次の役割を与えてもらってステップアップできたと思います。コーヒーに関わる仕事の幅が広がったことで自分自身大きく変わりました。

——そこから現在のONIBUS中目黒店へ?
そうですね、その前に外苑前のRATIOでも働いて、今いる中目黒店の立ち上げから携わっています。中目黒店はまだ3年目の一番新しい店舗。ここではバリスタと焙煎、そして品質管理を行っています。焙煎を週5でやるうち、僕が担当しているのは週3です。週1でスタッフが集まってカッピングしてクオリティチェックをやっています。前週に焼いた豆は僕を含めスタッフで責任を持って確認しています。


——常連さんも多く、海外のお客さんにも大人気。店舗の接客で大事にしていることは?
自分に無理をしない、というのは常に心がけています。お客さんというよりは人として接するようにしています。そうしていくと自然と「接客している」というよりは「友達づくり」みたいな感覚でお店にいられるので、自分も楽しんでやれていますね。自分に興味を持ってくれて、そこからコーヒーにも興味が向いてくれたら嬉しいし、逆でもいいですね。

 

——今後、ONIBUS COFFEEのおいしさをどのように伝えていきたい?
単純に、おいしいものを作ってそれを届けたい。たとえサスティナビリティやトレーサビリティができていても、それにおいしさが伴わないと興味もわかないし、意味がない。お酒もそうですが、おいしいカクテルを飲んだら「なにを使っているのか?」と気になるし、ワインも気に入ったものに出会うと、思わずエチケットとか見ちゃうじゃないですか? そういう感覚で、自然と産地情報に興味持ってもらえるようにしていきたいですね。僕は極端な性格なので、例え身体に良いとされるものでもおいしくなかったら全然食べたくないし、飲みたくない。僕の仕事は焙煎なので、黙って「おいしいもん」作って振り向かせたいです!笑。

——最後に、安武さんにとってONIBUS COFFEEとは?
最近思ったことですが、出張などで店舗に立たない日が続くと「早くお店に立ちたいな」と思っている自分がいます。店で、焙煎したりコーヒーを淹れることはもちろん、お客さんと話したり仲間と会うことが本当に楽しい。これが、なにより僕にとって大事な仕事だと思っています。

安武さんの「おいしいものをつくりたい」という、純粋で強い思いがとても伝わってきました。これからもおいしいONIBUS COFFEEを伝えていってください!今回はありがとうございました!

text&photo by Mayo Hayashi