2024.8. 8
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ONIBUS奥沢12年目のハッピーエンド〜受け継がれる場所と想い〜

ONIBUS奥沢12年目のハッピーエンド〜受け継がれる場所と想い〜

 2024年7月28日、ONIBUS COFFEE奥沢は12年半の営業に幕を下ろしました。

 ONIBUS COFFEEのはじまりの場所として、コーヒーラバーや地域の方に一番長く愛されてきた奥沢店が閉店するというと、本来なら寂しさを覚えるはず。しかし、奥沢店の最終営業日は、お客さまもスタッフもみんな笑顔でした。古くから店に通ってくれた方だけでなく、この日初めて来たという方も、たくさんのお客さまにお越しいただき、思い出話や労いの言葉で溢れる賑やかな1日になりました。

 明るい閉店になったのは、この場所が新しく生まれ変わることがすでに決まっているからでしょう。スタッフの宮地佑季さんは、奥沢店のマネージャーとして、この2年間ほとんど一人で奥沢店を切り盛りしてきました。奥沢店のことを誰よりも真剣に考え、さまざまなことを実践してきた宮地さんに、ONIBUSの歴史が詰まったこの場所が受け渡されます。

 バトンを託された宮地さんのインタビューをお届けします。

ずっと夢だった自分の店

宮地佑季(みやち ゆき) 
富山県出身。
オーストラリアでのワーキングホリデーから帰国した2019年7月にONIBUS入社。
奥沢店のマネージャーを務める。この秋、独立。

 

 宮地さんにとって、自分の店を持つことはONIBUSに入る前から描いていた夢。ONIBUSでの日々は、その夢に向かって一歩づつ進む時間でした。

 「ONIBUSに入る前、篤史さん(ONIBUS代表・坂尾)との面接でも『将来、独立しようと思っています』と伝えました。『何年後を考えてるの?』と篤史さんに質問されて、その時は全く具体的に考えられていなかったので、適当に『10年くらい』と答えたら、『長いよ!5年でいいよ!』と言われたのを覚えています。そして、本当に5年で独立することになりました。ONIBUSに入ると、自分で考えることや、いろんなお客さんと対する瞬発力が必要とされました。最初は上手くいかずに悔しい思いもたくさんしました。それでも、目の前に小さな目標を立てて、失敗、試行錯誤、達成を繰り返す。挑戦し続ける日々で、ONIBUSでの仕事はいつも楽しかったです。」

夢を実現するONIBUSの人々

 ONIBUSを一人で作った代表の坂尾、そしてONIBUSから独立した先輩たちが、宮地さんに夢を現実にする姿とチャレンジ精神を見せてくれたと語ります。

 「篤史さん自身が、常にチャレンジャーの立場でいることを尊敬しています。篤史さんと一緒に働いて、背中を見て、『自分もこんな風に頑張れたら何でもできそう』と思わせてくれました。やえさん(用賀『STAN』オーナー)には、『独立をするならコーヒー一本では厳しいから、お菓子作りか焙煎をした方がいい』とアドバイスをもらいました。奥沢店はその時、唯一菓子製造をしていた店舗だったので、私はONIBUSの数ある店舗の中でも奥沢店で働くことにこだわっていました。そして奥沢店の前マネージャーのなつこさん(高尾『MyHome』オーナー)からは、お菓子作りや、モノを売ること、想いを他者に伝えることを教わりました。神戸さん(蛇崩『Sniite』オーナー)は、他の人が思いつかないような店作りをして、世界観を表現しているのがかっこいいと思います。田崎さん(千歳船橋『TASK COFFEE』をもうすぐオープン)は、ONIBUSから独立してお店を始めるのが同じ時期。生年月日が同じなので同じ星回りですね。コーヒーが大好きな先輩としていつまでも仲良くしたいけど、『負けないぞ!』と思ってます。」

転機になった自由が丘店のオープン

 自分の店を持つという大きな目標に向かって、日々努力を積み重ねていく中、転機が訪れました。2022年4月の自由が丘店オープンです。奥沢店から歩いて10分ほどの近い距離に新しくできた自由が丘店は、奥沢店の何倍もの広さがあり、それまで奥沢店で担当していた菓子製造の機能も自由が丘店に移転することになりました。そこで浮上したのが”奥沢店どうする!?問題”。

 「自由が丘店ができる前から奥沢でマネージャーをしていたのですが、いろいろ任せてもらえるようになって、自分がしたいと思うことを少しずつ実現できるようになった頃。バリスタとしてだけでなく、菓子製造や配送などの業務を、組み立てていくのが楽しかったです。そんな時、自由が丘店ができたら奥沢店を閉めてしまうかもしれないと聞いて、『奥沢店をなくすなんて嫌だ!』と思い、篤史さんにも無くさないでと頼み込みました。結果として、それまでよりも少ない週3日だけの営業になりましたが、奥沢店を残してもらえて、私一人に任せてもらえるようになって本当に良かったです。お客さんたちにも篤史さんやONIBUSのみんなにも『続けて良かった』と思ってもらえる店にしたくて、過去のデータを見返して、お店の外にも出てみて、お客さんに喜んでもらうには何ができるか考えました。一人でやるのは全部が自分の責任になるから、それまでよりも頑張りました。」

 サマータイム営業をしたり、奥沢限定の菓子を開発したり、イベントをしたり、限定グッズを作ったりーー夢を見据えながらも、ONIBUSだからいろんなことにチャレンジできたと振り返ります。

「奥沢あげちゃおうか?」

 「一人で奥沢を任されてから半年後くらい経った頃、突然、篤史さんに『宮地頑張ってるし、奥沢あげちゃおうか?』と軽い感じで言われました。そうなったら嬉しいと思ったけど、こちらからしつこく聞くと、冗談のまま終わってしまいそうだったので、その時はあまり深追いしませんでした。でもその翌年の夏に篤史さんと改めて話した時に、『本当に奥沢でお店したいと思ってる?まだ本気?』と聞かれたときは『ぜひやりたです!』と即答しました。この場所を譲ってくれることも、独立を親身になって応援してくれることも、篤史さんには本当に感謝しています!」

 宮地さんが奮闘する姿を見て、坂尾は”この場所はONIBUSであることよりも、宮地さんの方が活かしてくれそうだ”と思ったそうです。「コーヒーショップがあることで、その街を豊かにしたい」と思い続けてきたからこそ、より良い形にしてくれる宮地さんへ譲るという決断になりました。

 そして宮地さんのプロジェクトは、協力者の縁に恵まれ、追い風を受けながら進んでいきました。もちろん奥沢店のことも最後まで責任感を持って全力でやり遂げてくれました。

好きが詰まったミヤチ商店

 奥沢店が閉店した今、次に描かれるのはどんな風景なのでしょう。宮地さんの描いているビジョンはとても具体的です。

 「お店の名前は”ミヤチ商店”です。あえてコーヒーという言葉を入れなかったのは、コーヒー以外もやりたいと思っているから。奥沢店では、自分の店を持つときのことを考えて、菓子作りやグッズ制作などいろいろチャレンジしてきて、遂にそれを活かせるときが来ました。私はビールも大好きなので、クラフトビールのタップも繋ぎます。私が好きなものを全部揃えて、全部伝えて、みんなにも楽しんでほしいです。奥沢店にいて印象的だったのは、コーヒーを飲みに来るついでに、誰かと喋って息抜きがしたいと来てくれるお客さんたちの姿。東京には、単身者や仕事で忙しくしている人が多いのだと思います。だから、ミヤチ商店が目指しているのは『来たらちょっと元気になれる店』です。2号店を地元の富山に作る構想までできていますよ!えぇ!」

奥沢はいつでも始まりの場所

 2012年、奥沢の街で坂尾が一人で始めたONIBUS COFFEEは、スペシャルティコーヒー黎明期のバリスタたちが切磋琢磨し、東京にそのカルチャーを広げる発信地となりました。その後、ONIBUSの店舗が増えていくと、奥沢店は改装を経て菓子製造を開始し、コロナ禍をきっかけにテイクアウトの店になり、柔軟に形を変えていきました。どんな形でも、ONIBUSを支えてくれた人のおかげで12年半続けることができました。本当にありがとうございます。

 ONIBUSとしての看板は下ろすことになりましたが、この場所を宮地さんの夢の始まりの場所に変えてもらうことは、まぎれもないハッピーエンド。これからはライバル関係になりますが、この場所が新しい形で、街に必要とされる存在になることを楽しみにしています!

interview, text and photos by Mai Yamada

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